Do you have some idea
for not using plastic bags?
本日の気になる記事はこれ↓
<2020.1.9> GIZMODE
要約すると
- 東南アジアは国民全体で見れば意識の差があれど、環境保全への取り組みが積極的。タイでは1月1日から大手スーパーでポリ袋が禁止になった。
- 再利用可能なポリエステルバッグは35回、コットンのトートバッグの場合は1つにつき7100回使わないと、環境への影響を抑えられたといえない模様。
ここまで使用し切らないとエコとしては意味がないとなれば、エコだエコだと思っていても、本当はファッションの範疇でしかないのかもしれませんね。
ただ、麻袋でも手押し車でも、「とりあえず持ち運べればえーやん」的な大胆な発想は面白くてむしろ好きです。笑
エコバッグもといマイバッグ運動の進展
日本の各地スーパーでも、ポリ袋の有料化は進んできましたね。
エコバッグの歴史は、1990年代に入ってからの「マイバッグ運動」に端を発しているという説があります。1950年代頃までの日本では「買い物カゴ持参」のスタイルが一般的でしたが、高度経済成長が進むにつれてポリエチレン製のレジ袋が急速に普及しました。
しかし1973年のオイルショックを経て、石油資源のムダ遣いを見直す消費者運動や、増え続けるゴミ問題などをきっかけに、啓発活動が徐々に盛り上がっていきました。
(参考:エコバッグDEポン!「エコバッグのはじまり」)
海外に目線を移すと、ドイツでは紙袋など様々な素材の携帯用バッグを何度も使うことが当たり前に行われており、イタリアでは2011年から国内の小売店等でのプラスチック製のレジ袋の配布が禁止されているようです。
ちなみに、マイバッグがもたらす問題としては、ブームに乗った頻繁な買い換えや、商品が精算済みかそうでないかの区別が付きづらいため万引きの温床になりやすい・備え付けの買い物かごが持ち去られる等が挙げられるとのこと。
(参考:Wikipedia「マイバッグ運動」)
問題点について言えば、エコバッグ利用の履き違えとか、周囲の便乗詐欺といったような、失礼気にせず言わせてもらえば何だかちょっと次元の低めの問題な気がします。
モラルが高ければこんな問題は起こらないような、と思いますが、実際にはあるある事象なんでしょう。
ちなみにオリンピック直前の今年7月から、日本でも小売店でのレジ袋有料化が始まります。
レジ打ちする人には袋の確認や細かい費用の追加の手間が面倒臭いという気持ちもあるかもしれませんが、法律の良いところは新しい当たり前ができるということかと思っています。
レジ袋有料化の動きを見据えて、個々人や法人がどう対応していくのか、アンテナを持って日常変化に視点を巡らすと面白い気付きがあるかもしれませんね。
これからの僕(→おっさん)らは
私なりのエコバッグ利用の結論としては、自分の持ち物でバッグを代替すれば良いと思います。東南アジアの彼らのように、身の回りのモノを発想変えれば何かと使い回せるはず。
エコバッグを作るのがエコではないというジレンマもありますが、わざわざ買うものでもありませんし、買わなきゃ持ち帰れないなんてこともない訳で。
つまるところ、発想の転換です。
私たちおっさんにとって小売店での買い物といえばコンビニでタバコとコーヒー買うとかその程度でしょうから、そもそもレジ袋なんて要らずに手で持ててしまいます。
それだったら「袋なんて入れずに生身を素手で持った方がワイルドだろ〜」と言わんばかりにおっさん的なファッションを発揮すれば、それもまた結果的にエコなになったり。
その他にも、元々何かで使っていた生地を転用してバックの形状に生まれ変わらせるというエコバッグもありますね。こちらも使い途を変えながらリユースする発想の転換として、大変秀逸な一例だと思います。
中段でも一度触れましたが、日本でもレジ袋有料化が全国的に導入される過渡期を迎えます。
些細なことでも変化を楽しんでみると、思いもよらぬ気付きがあるかもしれませんね。
・・・・・
答えは直ぐには出てきませんが、チャンスの神様を逃さないよう些細なことから考えることを習慣に。
じゃあな。またな。
人口1万人を切るど田舎生まれ・ど田舎育ちの30代おっさんサラリーマン。
特技は社畜ライフで鍛えた体力を用いての弾丸バックパック旅。
高校入学時に親からPCを与えられ、インターネットの恩恵により田舎高校から早稲田大学へ進学。
サークル活動に没頭するも総合成績(GPA)3.5以上を常に維持し、寄り道することなく社会人になる。
現在は社会貢献という自己解釈のもと会社で深夜残業・2年で転勤&転居が当たり前。
休日はスポーツ・資格の勉強・海外バックパッカーで構成される。あと、大量の睡眠も欠かさず補充。
10年ほどこの社会人スタイルで過ごし、70歳まで続けるのは無理だと悟り、自らの人生を真面目に思案中。
